アイリ育成計画

精神疾患をもつヲタクの記録と記憶。

絶望の先のその先

注意︙自傷行為希死念慮があります。フラバなどで引きずられてしまう方は決して読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日の朝にわたしは、尖ったナイフに心をぐしゃぐしゃにされた。先生の言葉で、だ。今週はどうでしたか、まず言われた。

外へ出れず苦しかった、頭も痛い、しんどい、こんな自分死ねばいい。

先生はいきなり態度が変わった。空気がピリついた。なんだろうと思った。

先生は「運動することだね」と撥ね付けるように、言った。

…待ってくれ。外へ出るのが苦痛で死にたがる患者に何を言ってる?外へ出るとセロトニンとかノルアドレナリンがどうだとか日の光を浴びようとか…。正直に言うとどんな風にそう言ったのか覚えてない。先生とわたしの間に膜が薄い薄い膜が見えたのだけ、思い出せる。新しい薬にフラフラすると言うことも言えず、泣くこともければ笑う理由もない。ただ、この世界はわたしがいた世界なのかと絶望した。どうやって診察室を出たのかも覚えていない。ついでに家にどうして帰れたのかすらも曖昧だ。解離か?それはいい…先生何であんなこと…?免罪符にしたくもないがわたしはあの場では患者なのだ。病気や障害をもっている患者なのだ。医師が救えるには限界があるし、自ら動かねばならないのだろう。しかし、もがき苦しんだ胸に何本目かの刃が突き刺さり、ああ、この人も信用してたけれど、信用は信頼になり得ない…。絶望がわたしを蝕む。

それから、外に出られなくなった。人が怖い。声が怖い。シャワーも倒せない。昼間は寝たきり。しかし夜さえ力を奪い、一日中寝ている。食事だけは怒られるから何とか食べる。後で吐く。

姉の家も体調不良らしかった。多分いつもなら耐えられることも耐え切れなくなった。ほぼ毎日母が姉の家へ行くたびに孤独感が強くなって自分が必要とされない感覚に陥った。わたしは二番目だからいつも…。

夜中に叫んだ。殺してくれ。

母は起きてきて今はお姉ちゃんが大変な時だからと聞き飽きた言葉でわたしを否した。

わたしも、大変なのに?わたしは、いないの?いない存在なの?だったら世界から消えればいいの?

いつの間にか寝ていて起きた世界は相変わらずわたしを必要としなかった。母はどんなに引き止めても姉の家に行った。姉には旦那もいる…旦那が面倒みればいいのに…何故わたしのお母さんを奪うの…いつまでもあなたはわたしが欲しい愛を持って逃げるのか…。

 

腕から血を流れたのをこの目が見たのはすぐのこと。

痛くはない。前の日に首も切った。別にどうなって構わない。わたしは母を傷つけようと思った。あなたがいないせいでこうなのだ。振り返ることもしないあなたがいないからわたしは切る。腕を切って血を流してあなたを傷つけよう。

 

書いてる今も苦しみに苛まれている。

傷を見て母はきっと怒るだろう、傷つくだろう。

いっそ愉快だ…。

A型就労採用テスト結果採用がお断りになるまで。

先日のA型就労の面接後の採用テストの結果、採用したいとのことになりました。が、お断りしました。

働きたくてウズウズしてるわたしが敢えて蹴る理由なんて、採用テストの内容が全てです。

 

採用テストで、責任者の方から思い切りパワハラを受けました。一部でモラハラもあったような…?まあいいや、とにかく精神疾患をもちただでさえ湯葉メンタルのわたしにとって耐え難い仕打ちを受けたことは確かです。思い出してもどこをどう切り取ってもわたしに非はないのです。ストレスの捌け口に利用されたようにしか思えません。

 

採用テストは三日間。初日に、何の説明もなしに見本を渡されこれをやりなさいと作業開始、えっ...教えてもくれないの...?とびっくりしたのですがとりあえずやってみると、数分後「これはダメです、こうしてほしい」と言われ、だってさっきそんなこと言ってなくない?!と混乱しつつ作業をしていきました。

そして、初日にして最大の引っかかり。それはもうすぐでテスト時間が終わる頃、何気なく「前にいたA型では何をしていましたか?」「どんなことが得意ですか?」と質問されるので答えていくと、それから、

「自分が障害者と感じる時ってどんな時ですか?」

…それは、どういう意図ですか。

この時ばかりはびっくりしすぎて何を答えたのか覚えていません。

しかし後で振り返ってみればみるほど信じられない失礼な質問だと思いました。

だって、わたしは障害者として生きているわけじゃないから。障害を受け入れてはいるけれど、人間です。人間として生きているんです。

差別されているのか、自分が「普通」として優越感に浸りたいのか、どちらにせよ障害者に対して言う言葉じゃない。それも、A型就労なんて最も障害者と接する立場の人間がしていい質問じゃない。いや、人として言ってはいけない言葉。

波乱の初日に具合が悪くなるも、二日目。初日は一人きりでしたが、二日目は何人かいてホッとしました。…のもつかの間でしたが。

始まる前に若い男の子が声をかけてくれました。わたしを新しい利用者だと思ったのでしょう、首から下げる名札がなくてキョトンとしていると、見ていた昨日の責任者が「ああ、採用テストの」とぶっきらぼうに言いました。

名前くらい、言わせろ^^*(怒)

ぐーんと気持ちは落ちましたが、今日は教えてもらえるはず!変なこと言わないはず!と切り替えて臨むものの…。

「コレ見て同じようにしてください。10個作ったら質問を受け付けます」

作業工程の紙と大量の作業物。あなたのお仕事は何なんですかと問いたくなりました。

それでも負けじと難しい作業を見様見真似で10個作り、よし質問、上手く出来るよう教えてもらえる!と思ったわたしがバカだったのか…。

「あの、これ、あまり上手く出来なくて…」

「どこら辺がそう思いますか?」

「ええと、ここが…曲がってるから、変に見えると思います…」

「ならそういう風に作り直してください」

字に起こすとそうでもないですが、わたしにとっては突き放された、拒絶されたと思うほど、冷たい声でした。

とりあえずやるしかないと震える手で直していると、手が少し濡れていた、…わたしは泣いていたのです。

ゴールがないのに走らされているように、感じました。

他の利用者さん(特に若い男の子)に対してはすごく甘く接していたので、わたしの孤独は自分の中でより際立ちました。「すごーい!素晴らしい!素敵〜」と阿呆みたいに他の人を盛り上げてるのを見て、一人放っておかれて、わたしは何をしているのか、と絶望を味わいました。

この日はさすがにしんどくてハローワークに電話して相談しました。ハローワークの職員さんは親身になって聞いて下さり「明日は無理せずにダメだと思ったら行かなくていいからね」「大事にしてね」と優しい言葉をかけて頂けたので、がんばろうと思えました。

勝負の三日目。行けました。頑張りました。逃げたくなかったから。…しかし、件のパワハラ女はおらず、別のスタッフさんに仕事を見てもらいました。以上、終了。

 

後日、採用の電話がありましたが、もちろんお断りです♡人の心をメッタ刺しにしておいてよく採用したいとか言えますねえ。頭おかしいんじゃないですか?

 

誰にだって障害者になる可能性あるんです。病気や事故は避けられません。なのに見下した態度、言動…。ああいうバカもいるんですね、勉強になりました!

 

というわけで絶賛不調の波が来てるのでこの辺で。

キャンペーンは終わらない

ひとつだけ、Twitterを使う上での自分ルールがある。闘病垢ひとつでやっていこうと決めてからのルール。

この言葉だけはどんなことがあっても使いません!使うくらいならTwitter辞めます!と自分に誓ってる。

 

「死にたい」

 

これは自分だけのもので、フォロワーさんに強要はしていないけど。しかしできる限り見たくない言葉ではあるかもしれない。

希死念慮に心を覆い尽くされて蝕まれることはわたしにももちろんある。そんなどん底の時はTwitterを見る余裕もないから呟くこともないが、不意に襲われる恐怖と欲求は操れないから厄介。でも、理性が僅かに抵抗させるから何とか歯を食いしばって耐える。

最終的にどんなに親や友達や大切な人がいようがわたしを愛してくれようがそれは他者でしかないから、自分が自分の最後の味方だと思っている。

わたしだけはわたしを裏切らない。

だからわたしを信じてあげたい。

そんな自分との約束をふいにしたくない。

だって、わたしはわたしが大切だから。

 

自分を大切にキャンペーンはここ数年で生まれたもの。それまでわたしはわたしの敵だった。

今も時々敵になるけど、キャンペーンで変わったものは沢山ある。

これ言うの迷うのだけれど…、自分の顔が好きになりまして(笑)。わー恥ずかしいね!前から可愛いねと言われる機会は…少なからずあった、全俺が「社交辞令だろ」と全く信じてなかった。が、キャンペーンの今、社交辞令でも「マジで?!ありがとう!」と思う。顔から下はちょっと…でも、顔はそれなりじゃね?そんな気持ちで居たら今まで以上にメイクも楽しくなりましたー!わーい!自己肯定感アゲアゲ〜!

 

何だか横道に逸れてしまったけれど、せっかくTwitterするなら楽しくしたいよね!

それが一番!

youthful days

以前(と言ってもかなり前、20年ほど前からのこと)わたしは毎日PCに向かいまるで会話をするように、いや、呼吸をするようにブログを更新していた。

当時、日記のような類だったそれは、日に何度も誰にも言えない思いを、止まったら死ぬかのように書き続けていた。

既に精神疾患を患っていたが、PCで書いている時間だけが満たされていた。脳内麻薬ドバドバだった。

本当のわたしはそれを見てくれる人が、知っていた。それが何より嬉しかった。わたしを、認めてくれる。わたしは、存在している。

そして、やがてわたしは創作に走るようになる。

その、所詮元ネタは、学校、バイト、部活のこと…、なら普通だったろうに、それを飛び越えて、人生のこと病気のことを正直に痛々しいまでにリアルに書いていた。嘘は書かない、現実で起こったこと、感じたことを書く。それが信条だった。

わたしを認めて、わたしの存在を知っている人に、嘘はつきたくない。実に青臭い子供だった、違う、青臭いから子供なのか…。

痛みを差し出すから、わたしの存在を許して。

そんなことも思っていたかもしれない。

 

今、そのデータは一部残っているけれど、見返せないほどの痛々しさ…。笑い話にはもう少し経たないと出来ないと思う。笑うことを草が生えると言うが、そういうものとは違う痛さがある。

わたしにとって、きっとあの時期は青春だったのかもしれない。

青春の痛みは、あまり笑えないものが多い。

泣き叫び胸を掻き毟り…、その真ん中でわたしは確かに生きていた。精神を削りながら、生きていた。

 

まあ、あの時期言うても、去年までも毎日でないとして、何かを書いていたんだけどね(笑)。

上手い下手とか関係なく、書くのは止められないみたいで。青春の脳内麻薬のせいで、それ以外に快楽を得られないみたいで。

 

でも、少しだけ成長したと思うのが、書かない時もある、そしてその時はそれなりに落ち着いている、ということ。

落ち着いている、というか、感情の起伏が激しくない時か。いや、それは人は落ち着いているというのか。

 

まあ、よく解らんくなったので、終わり!強制終了(笑)!

面接。

A型就労の面接に行ってきました。

 

A型就労でも舐めるなよとでも申したいのか企業の面接さながらzoomで他の支社の方とも面接なんて聞いてないよー!誰をどこを見ればいいのやらー!zoom初めてよイヤンー!画して四対一の味方は俺だけ面接はじまりはじまり…。

 

ただでさえメンタル湯葉のワタクシ。ひとつの質問にいちいち肩が上がって手が震えて、それを隠そうと自分に不利で余計なことをたくさん話した気がするけれどそれが真実、真実はいつもひとつ…。(コナンくん映画観に行くね)

障害の原因、病状の移行の話がたくさん出て、きっと必要なんだけど、えー…これは…イジメの時間…?と針のむしろ状態の俺氏、何回か逝く。

原因なんてひとつ、いじめで不登校!はいよくある話やね。病状の移行は、20年もメンクリ行くねんで、これもよくある話。そんな掘り下げるほど珍しいんか…?

ちょっと過去に立ち戻りかけてメンタル落ちそうになってたのを無理やり現在まで揺り起こしたけれど、それ聞いておいての反応が「へー」て何なの…。辛かったねとか何とか労りの言葉言えへんのかーい!ルネッサーンス!()

PMS持ってるから月イチで状態悪くなります、と言ってしまったので、具体的な症状を聞かれたから包み隠さず素直に言ってしまいました…。ほぼ寝たきり、動けない、ご飯食べれない、お風呂入れない、希死念慮は隠したんだが…そこは良かったかもしれん。希死念慮のことまで話したら絶対アカンやつ。

 

と、ここまではいいのだが、後のことは記憶が途切れてるので最寄り駅からどうやって帰宅したかあまり覚えてない…。キツすぎて辛すぎて解離症状出たんかな…うーむ。

 

というわけで、久しぶりの面接でした。

ぶっちゃけ感じの良い印象はなかったので他のA型就労を探すのもアリかなと思いました。

採用されてやってもいいけど?と上から目線でお返事をお待ちしますね。

 

んぬあー、疲れた…。